こんにちは✿
今日は「…は地雷」という発言について考えてみました。
私がHSPなので、「HSPは地雷」というブログテーマで話していこうと思います。
少し重い話かもしれませんが、少しでも参考になることがあれば嬉しいです。
- 「HSPは地雷」「HSPはめんどくさい」などの意見に疑問を感じた
- HSPを公言することへの悪いイメージに疑問を感じた
HSPとは?
HSPは、Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)の略称です。なんだか病名のように聞こえるかもしれませんが、これは遺伝子的に生まれ持った気質のことで、アメリカの心理学者であるエレイン・N・アーロン博士が提唱した心理学的概念です。
生まれつき「非常に繊細な人」「敏感な人」「感受性が強い人」などという意味です。
全人口の約5人に1人はこのHSPに当てはまっているそうです。
HSPについてまとめた記事もあるので、興味がある方はぜひ。
ネット用語「地雷」というパワーワード
ネット用語としての「地雷」の意味と使い方
地雷とは、「地面に埋めて、その上を通った物(人や戦車など)に反応して爆発する爆薬」というのが本来の意味ですが、インターネットのスラングとして、
「関わってはいけないもの」
という意味で使われ始め、最近では日常会話の中にも頻繁に登場する言葉になりました。
「文句ばかり言う人は地雷だ」
「会話の途中で先輩の機嫌が悪くなったのは、私が何かの地雷を踏んでしまったせいかもしれない」
このように、
地雷だ=関わりたくない
地雷を踏んだ=触れてはいけないものに触れた
という使い方がほとんどだと思います。
「人」や「物事」で受け手の印象が違う
ここで私が思うのは、「…は地雷だ」というのは「嫌い」を表現する強烈なパワーワードになっているかもしれないということです。
あくまでも私の印象なのですが、「…は地雷だ」の「…」に入る言葉が「物事を表す属性」の場合は、それほど強い表現にはならないと思います。
- 暗いニュースは私にとっては地雷だ。
- 私は何かの地雷を踏んでしまったのかもしれない。
これが、「…」に入る言葉を「人を表す属性」にした場合、その言葉が一気に力を増してしまうと思います。
(わかりやすく表現するための例です。気を悪くする人がいたらすみません)
- 露出が多すぎる人は地雷だ。
- かまってちゃん気質の人は地雷だ。
いかがでしょうか?
「…」に入る言葉が「人」の場合、ネガティブの度合いが少し強い印象はありませんか?
「地雷」がネガティブさを強くするのはなぜだろうか?

「地雷」という言葉には悪意が含まれている可能性が高いのでは?
「…は地雷だ」の「言った人」と「言われた人」、それぞれの印象を考えてみます。
まずは、「物事」の場合です。
「暗いニュースは私にとっては地雷だ」を例にして考えてみます。
- 言った人:
「嫌いを意図する」 - 言われた人:
「人の趣向によって、嫌な気持ちになる場合がある」
(そのニュース内容を聞いた人にとっては地雷かもしれないが、言った人にとっては、受けての地雷かどうかががわからないことが多い)
一方、「人の場合」はどうでしょうか?
- 言った人:
「嫌いを意図する」+「(多少の)悪意をもつ」 - 言われた人:
「嫌な気持ちになる」
以上のように考えた結果、「…は地雷だ」の「…」が「人」を表す場合、「言った人・言われた人」のいずれにも嫌な気持ちがある(もしくは嫌な気持ちの可能性がある)のは共通していますが、「言った人」には「(多少の)悪意」の感情が含まれている可能性があるように思います。
前後の文脈で違いはあるかもしれません。また、HSP気質の私だから気にしすぎるあまり、そのように考えてしまうのかもしれませんが…。
「地雷」→「苦手」に変換してみる
地雷というやや物騒で強い印象の言葉だと、圧があるように感じますが、同じ意味合い、かつ、弱い印象の言葉に変換するのはどうでしょうか?
例えば、「苦手」という言葉に変換してみます。
「…な人は地雷だ」 → 「…な人は苦手だ」
少しだけ言葉の印象が穏やかになったと思いませんか?(「嫌な感情」は軽減できないかもしれませんが…)
HSPに関する多くの著書では、
「無理しなくてもいい」「好きは好きでいい、嫌いは嫌いでいい」
などのように、捉え方の改善をしたほうがいい、または、何気ない言葉を曲解しがちであると述べられています。
上記で書いた「…は地雷だ」には悪意が含まれているというのは前者の傾向のせいかもしれませんが、受け取る言葉を自分なりに変換しながらネガティブな刺激を和らげるのは悪くないと私は思っています。
「地雷→苦手」のように、濃くて強い言葉を薄くて弱い言葉に変換して考えるのをおすすめしたいです。
非HSPの「HSPは地雷だ」という意見について

ここからは、私が実際SNSで見た「HSPは地雷」という意見について思うことを話していきます。
なぜ「HSPは地雷だ」と思われるのか?
HSPという言葉が世間に周知されればされるほど、それに比例して「HSPは地雷だ」と思われる機会も
増えていると思います。
非HSPからすると、
「自分はHSPだから」と言う人=甘えている
もしくは、
「自分はHSPだから」と言う人=アピールしている“かまってちゃん”
と、考える人は少なくないかもしれません。
なぜなら、非HSPにとっては当たり前にできることをHSPはできなかったり、苦手だったりすることが多いからです。
ですが、HSPの私はそれには誤解があると思います。
「HSPだから」を言い訳にしたいわけではない
確かにHSPを理由に甘えようとする人はいるかもしれません。
しかし、私が思うほとんどの人は、
- 「なぜ、私はこんなに気にしてしまうんだろう?」と悩む
↓ - 原因追及の結果「自分はHSPの傾向にある」と自覚する
↓ - HSPの自分との向き合い方を考える
というように、HSPを自覚して、どう自分自身と向き合うかを考えたいだけで、まわりにアピールしているわけでも、「HSPだからできなくても許してほしい」と思っているわけでもありません。
「できないから許して」は、ただ自分自身に言っているだけです。

あくまでHSPというものはアピールするものではなく、自分を知るためのものなんだよね。
そして、それをSNSで発信するのは、単に、
「同じような人と繋がりたい」「同じような人と思いを共有したい」
だけで、非HSPに何かをしてもらおう・思ってもらおうなどという気持ちは無いに等しいです。
私もそうですが、ほとんどの人がそうだと思います。(「ほとんどの人」とHSPを肯定しているのも気に食わないかもしれませんが)
ですが、上記でも言った通り、HSPの中には、「HSPだから、私にはできない」と言う人がいるかもしれません。
そういう人は「甘えだ」と言われても仕方ないかもしれませんが、「HSPだから…」という言葉が向かう対象がその人、本人なら「自分に言い聞かせているだけ」と思ってほしいです。
HSPは内面的なことなので理解されにくい
見た目でわかることは理解されやすいのに、内面的なことは理解されにくいというのもHSPに対する偏見が生まれる原因の一つでもあると、私は思います。
例えば、背が低いHSPのAさんがいたとします。
- Aさん「俺って背が低いんだよね」
- Aさん「俺ってHSPなんだよね」
この二つの発言は同じようですが、背が低いことを公言しても特に何か言われるケースは少なく、逆にHSPという内面的なことは目に見えないことなので、まわりからは理解されにくいように思います。
HSPに偏見を持つことは、人それぞれの考え方があるので仕方ないことだと思いますが、どんな考えだろうと、放っておいてほしいという気持ちが私にはあります。
別に非HSPに何かを求めているわけでもなく、ただHSPを自覚して、自分を知ろうとしているだけです。
それに対して、
「HSPは悲劇のヒロインぶってるんじゃないの?」
「HSPは地雷な人が多い」
などは、自分のイメージや好みで言っているようにしか思えません。
確かに、まわりにHSPで嫌な人がいた経験から言っているのかもしれませんが、数人のHSPに会っただけで「全HSPはそうだ」と決めつけるのは少しどうかと思ってしまいます。
明らかに悪意がある「HSPは地雷だ」なんて発言されるととても悲しい気持ちになります。
考え方なんて人それぞれだし、その人の自由だと思うのですが、できれば発言するときは少し相手の気持ちも考えてから発言してほしいなと思いました。
まとめ:HSPは地雷ではなく自覚するためのもの
というわけで、「HSPは地雷だ」と言われた場合に、どのように受け取れば刺激が軽減できるか、また、「HSPだから…は甘えだ」に関する誤解についてブログにまとめました。
後者について、「HSPだからできない」と周りにアピールするHSPは少なく、そのような人は「HSPは甘えだ」と言われても仕方ないかもしれないと言いましたが、本当に悩んだ末の発言なのか、それとも「かまってちゃん」の発言なのか、真実は言ったその人にしかわかりません。
非HSPの方々が、「HSPは甘えだ」と思う存分心の中で叫ぶのはいいですが、できれば口に出す際には少し考えてほしいと思いました。
同じように悩んでいるHSPさん、そして今回は非HSPの人にも参考になれば嬉しいです。
ここまでブログを読んでくれてありがとうございます。
それでは✿
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